わが里程標その3(最終回)
しばらく間が空きましたが、
音楽遍歴を晒す会の続きを書こうと思います。
多分今回で最終回です。
前回は中学生編でしたが、今回は高校をすっ飛ばしていきなり大学に移りたいと思います。
高校に軽音部など無かった私は、バンドをやりたい!ということでバンドサークルしか見学していませんでした。
一番大きな軽音部の花見に行ってみたものの肌に合わず、次の日に訪ねたのはロック研究会。
雨の日でした。
僕の母校のロック研究会は、オリジナルの曲を作るバンドを組むというようなサークルです。
コピーはやりません。
最初にサークルのライブを見たときは、ハードコアやノイズ、シューゲイザーなど、私が今まで殆ど触れてこなかったような極度に偏った音楽ばかりが演奏されていて、一体なんだこれは?と思ったものです。
みんな楽器上手いし、話してみると皆自分より遥かに音楽に詳しいです。
世界がかなり広がりました。
私は井の中の蛙でした。
サークルで僕が初めて組んだバンドはBagdad Cokeというバンドでした。割と普通の歌ものバンドです。
大学時代は暇だったので、曲を作ってばかりでした。
バンドの曲も少しずつ増えていきました。
僕が高校の時にちまちま作っていた曲も交えながら。
右も左も全く分かっていない状態でのライブは、それはそれは緊張しました。
元々あがり症ですし。
何も分からない状態で人前に出るというのはとても怖いです。
この曲、みんないい曲だと思ってくれるかなあとか、不安でいっぱいです。
失敗もたくさんしました。
Bagdad Coke時代は曲作りもライブもめちゃくちゃで、バンドメンバーにも迷惑をかけたと思います。
色々な意味で尖ってました。
申し訳ないです。
卒業後はバンドも組まずフラフラしてした私ですが、大学時代の先輩であるギターのオオシマさんがバンドをやらないかと声をかけてくれました。
これがバンドSister Leyの始まりです。
僕にとっては大きな転機でした。
大学時代に少しずつでも積み上げてきたものはあったようで、今のSister LeyではBagdad Coke時代よりも良い曲を作れているという自負があります。
今までよりも良い曲を作りたい。
それだけです。
Sister Leyは着実に成長しています。
新曲もたくさん作っています。
もっともっとたくさん良い曲をご提供できるようにメンバー一同頑張りますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします!
以上、わが里程標シリーズでした。